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WBC総括

カテゴリー: 野球全般

侍ジャパン

侍ジャパン

 これまでの長島ジャパンやオリンピックの星野ジャパンとは違い、”侍ジャパン”としたことは大正解だったと思う。その名称で日本人であることのアイデンテティを産み、国民が一体化して応援したのだと思う。過去のWBCや昨年のオリンピックの時よりも、今年は盛り上がったと思う。

 しかし、過去の国内プロ野球を知っている自分としては、近代のプロ野球選手が”サムライ”と呼べるだろうか疑問である。『球史に残る強力打線』として記してきた様に昔のプロ野球選手には、猛者連中が多かったが、近年はいわゆる優等生が多く、こじんまりとまとまってしまっている。(これは野球に限らず、世の中全般に言えるとは思うが)

 そういった意味では、今回のメンバーは4番打者の寄せ集めではなく、3番バッタータイプが多かったことが勝因だと思う。今の日本の野球を象徴していると思った。
 国内野球が変わってきたのは、各チームに日本人の長距離4番打者がいなくなったことと、オリックス時代のイチローの出現だと思う。
 チーム構成も機動力と、投手を中心とした守り重視になっている。ピッチャーも先発完投型から中継ぎ押さえが重視されている。先発は5日から6日の間隔を空け、100球が目処になっている。
投手の分担制は、セーブ記録が着目されだした1974年、中日優勝時の星野仙一からだし、拍車をか
けたのが奇しくも1982年同じく中日優勝時の近藤貞夫監督だと思う。

 WBCに戻るが、選出された日本のピッチャーには好投手が多かった。大リーグ入りした日本選手でも実証されているように、バッターよりもピッチャーの成功例の方が圧倒的に多い。そういった意味では、国内チームのエース級は、世界でも堂々通用するようになっている。
 韓国戦での猛打爆発はあったが、やはり日本の勝つ野球は、投手の好投と守りしかないであろう。優勝を決めた韓国戦での内川のプレーは圧巻であった。彼は入団当時セカンドを守っていたが、怪我が多いこととチーム事情から、外野、ファーストを守らされた。去年、ファーストに固定されて、国内プロ野球史上右打者での最高打率で首位打者に輝いた。各解説者は、「外野飛球を
ああいった止め方が出来るのは内野経験者だからだ。」と言っていたが、止めた後のセカンド送球で見せた強肩とコントロールも実に見事だった。バッティングでも再三塁に出て貢献したし、影のMVPだと思う。

 自分が不思議に思ったのは、その内川を当初先発で原監督は起用しなかったことだ。内川だけでなく、実践的な選手である片岡川崎が外されていたのも以外だった。川崎は、怪我で本調子でなかったのかもしれないが、最後の方で多少打ったとは言え、当初全くブレーキだった岩村をセカンドに固定して使い続けたことは理解できなかった。もう一人、不振の福留を使い続けたのも納得できなかった。原は、日本人大リーガーとして大きな舞台を経験している2人に期待したのだろうが、長期戦ならいざ知らず、短期決戦は、調子の良し悪しを早目に見極め、起用していくことが定石であろう。これまでの国内でのプレー・オフや日本シリーズを見ても枚挙に暇がない。
 投手においては、小松、渡辺、涌井、藤川など、調子が悪いとかむこうののボールに合わないと見るや、早目に使わない断を下したのとは対照的であった。

 いずれにしろ、勝つには勝ったが、危なっかしいことこの上なかった。韓国の選手と比べて見ても、体格がまるで違うし、長打力ッでは明らかに劣っていた。福留、岩村、城島も日本では、長距離打者であったが、大リーグに言ってからは、長距離砲ではなくなっている。小笠原稲葉も3番タイプだし、日本の本来の長距離砲は、村田一人であった。そういった意味で3番打者を揃えた打線と言ったのであるが、それにしては繋がりに欠け、足を使った機動力もほとんど見られなかった。
 アメリカは、選手の人選からして、本気で戦っていないように見えたし、敗者復活戦あっての優勝は、事実である。地区を分けての対戦も世界選手権と言えるだろうか?
アジア・アメリカと一緒にして総当りのリーグ戦にした方が、真の勝者が分りやすい。

 そう言った捻くれた見方もあるが、日本人として素直に喜びたい。しかし、色々と教訓にはなったと思う。まず一番に使用ボールの違いだ。重いということで戸惑った投手が多かった。大体日本で使われているボールは軽くて飛びすぎる。だから誰でもホームランを打てるのだ。他の項でも書いたが、出過ぎるホームランは面白くない。
長距離打者が、減っている近代だからこそ、ホームランよりもスピード感溢れる野球と、プロの守りを見たいと願うのは、自分だけであろうか?
Mon 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


強力打線総括

カテゴリー: 野球全般

強力打線のネーミング

巨人史上最強打線

 球史に残る各チームの強力打線を述べてきたが、そのネーミングについて4タイプに分類される。

1.チーム名やチームカラーにちなんで命名されたもの
 ”中日・強竜打線”、”ダイエー・ダイホークス打線”、”オリックス・ブルーサンダー打線”、”広島・赤ヘル打線”、”近鉄・いてまえ打線”
 特定の時期や、特定の布陣を指しているのではなく、チームが勢いに乗り、打線が爆発した時に使われる名称である。阪神と近鉄の愛称となっている”猛虎打線”と”猛牛打線”は、猛打爆発した時 に使われる。いてまえも、近鉄の代名詞になっている。.
 小粒だが、チーム名から”ロッテ・マリンガン打線”もあった。また、愛称ということから、横浜の監督になった山下大輔の名前を取って”大ちゃんス打線”というのもあった。

2.世の中の流れ、時代の象徴として命名されたもの
 ”日本ハム・ビッグバン打線”、”巨人・ミレニアム打線”
 ビッグバンは、日本で1996年から2001年度にかけて行われた大規模な金融制度改革を指すが、元々宇宙創造時にあったといわれる大爆発になぞらえて名付けられた。
 ミレニアムは、千年紀にあたる2000年に巨人が大型トレードで他チームの主力を揃え、20世紀最後の覇者を目指したことから名付けられた。

3.その時の布陣による打線の特徴を表して命名されたもの
 ”南海・400フィート打線”、”西鉄・流線型打線”、”横浜・マシンガン打線”、”西武・ノーリミット打線”
 打線の組み方に明確な指針がある場合で、長距離砲が集まった年には、一発攻勢。あるいは、ホームランを狙わず、繋ぎの打線に徹するといった場合に名付けられる。
 それゆえ、その特徴自体が打線からなくなってしまえば、ネーミングも一緒に消えてしまう。
 その打線に似たタイプの打線が他チーム生まれた場合には、他球団でも同じくそう呼ばれる事がある。流線型打線は、1リーグ時代の巨人でも使われた。繋がるマシンガンに対し、単発的な打線は” ピストル打線”と呼ばれ、貧打の代名詞になっている。

4.打線の破壊力を表す固定した布陣に命名されたもの
 ”阪神・ダイナマイト打線”、”松竹・水爆打線”、”毎日・大毎・ロッテのミサイル打線”、”大洋メガトン打線” 
 長距離砲が、揃った年の固定メンバーで固定されるため、その選手が引退やトレードされると自動消滅する。しかし、また違う年に異なるメンバーで復活もする。その際は、第2次○○打線とか、ニュー○○打線と呼ばれるが、系統だったチームの伝統として残る。
 ダイナマイト~ミサイル~水爆と、その破壊力に比例して凄まじいといえると思う。松竹が短命で消滅したのは、非常に残念である。
 何しろ1リーグ分裂後の初代セリーグ覇者であり、同リーグには巨人も阪神もあったのに、両チームを制しての初代栄冠を手にしたのである。

 現在の12球団の中で、ヤクルトと楽天だけは、命名された強力打線がない。楽天は、歴史が浅いので致し方ないが、ヤクルトは、サンケイ、国鉄と遡っても見当たらない。

 わずかにヤクルトには、2003年、”オジンガン打線”と呼ばれた打線があった。
当時の日本人スタメン打者は、38歳の6番古田敦也を筆頭に、2番宮本慎也と5番鈴木健が33歳、7番真中満が32歳、トップの稲葉篤紀が31歳、一番若い8番城石憲之でも30歳であった。残り2人は外人で、3番T.ベッツも30歳、4番のA.ラミレスだけが唯一20代であったが、彼も29歳だった。

 当時若手の岩村明憲が怪我で戦線離脱し、やむなく組んだ打線の日本人選手全員が30代の「おじさん」選手であった。しかし、この年のチームの順位は巨人と並んで3位タイであり、チーム打率は首位の阪神に次ぐ.283という高打率をマークし、年齢を感じさせない働きを見せた。

 各時代において、数々の強力打線が命名されたが、先に述べた1950年の松竹・水爆打線と1985年阪神のニューダイナマイト打線が、特筆されると思う。クリーンアップトリオの3人が、ホームラン30本以上、100打点以上と、2つの記録をもって優勝したのは、この2チームしかない。この時のクリーンアップこそ、最強の布陣と考える。
 
 下位打線の意外な1発も面白いが、やはり野球はチームの総合力であり、各人がそれぞれの役割をこなすことにあると思う。V9巨人の項で述べたように、塁上の走者を返すのはONの仕事、他の選手はいかにして塁出るかという各人の役割が徹底していた。
 最近の大型補強で、各チームの4番打者を揃えても、必ずしも優勝をしていない。現に”史上最強打線”(これはネーミングではない)と謳われ、日本記録のチーム本塁打数259本を記録した2004年も、3位に沈んでいる。
やはり、巨人らしさを出したV9時代の方が、圧倒的に強かった。

 200発以上本塁打が出たチームでも、必ずしもそのチームが優勝した訳ではない。近鉄は、1980年と85年、2001年と3回も記録しているが、85年は優勝を逃している。日本初の1978年広島、2001年ダイエー、2004年巨人も同様で、200発打線で優勝したのは、1980年・2001年の近鉄と2000年の巨人しかないのである。

 やはり、爆発力も脅威であるが、V9時代の巨人や黄金時代の南海・西鉄・阪急・西武の圧倒的な強さが印象に残る。単年や2年連続ぐらいの優勝は、どのチームも経験しているが、数年に渡る連覇を記録しているのは、この5チームだけである。
 打線だけではなく、投手の陣容と内外野の守備も揃わないと中々優勝は出来ない。連覇を続けるには、チーム方針そのものが問われることになる。
Tue 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


球史に残る強力打線

カテゴリー: 野球全般

松竹ロビンス、水爆打線

小鶴誠

 プロ野球のリーグが発足したのは、1936年であるが、セ・パ2リーグに分かれたのは、1950年である。2リーグ分裂後、セリーグ初優勝チームが、松竹ロビンスである。
 同チームの母体は、1936年に結成された大東京軍で、翌年にライオン軍、1941年朝日軍、46年パシフィック、47年太陽ロビンス、48年大陽ロビンス、50年松竹ロビンスと変遷し、1953年に大洋ホエールズと合併した。
 1950年、松竹ロビンスは、強力な水爆打線と命名された打線を組んで、セリーグ初優勝の栄冠を手にした。
 エース真田重蔵は、39勝(1961年、西鉄稲尾の42勝に次ぐ記録)で、最多勝を手にしたが、何といっても特筆されるのは、小鶴誠であろう。日本初の50本塁打以上(51本)もさることながら、181打点の日本記録は、不世出のものである。打率も3割5分5厘(2位)、あわやいきなり3冠王である。実に驚異的数字である。戦後初の大打者と言える。
 しかし、さらなる驚きは、この小鶴を押しのけて4番の座に座ったのは、岩本義行(のちに近鉄の監督)で、岩本は、初代の3割・30発・30盗塁をやってのけている。ちなみにこの年、日本シリーズで対戦する、パリーグの毎日オリオンズ、別当薫(のちに近鉄・大洋・広島で監督)も3割・30発・30盗塁を達成している。また、別当も本塁打と打点の2冠王に輝き、打率もリーグ2位であった。(小鶴と共にあわや両リーグで同時3冠王)
日本シリーズでは、シーズン18勝した、第2エースの野村武史(エースは、ルーキーながら23勝で最多勝、防御率トップ、新人王の荒巻淳)が、3勝を挙げている。
全く、2リーグ分裂直後の年に、いきなりこういった大記録が生まれたことが、奇跡的だ。

 松竹の水爆打線に戻るが、この年、98勝35敗4分けで、勝率7割3分7厘と実に驚異的な数字で、1試合平均、6.63点をたたき出している。(日本記録)
シーズン最多勝利日本記録は、1955年の南海99勝に更新された。
 日本プロ野球の最大点差の逆転ゲームは、10点差で過去に3回だけあるが、その内2回を松竹がやってのけている。1949年10月2日の大映スターズ戦と1951年5月19日の大洋ホエールズ戦である。あとは、1997年8月24日、大阪球場で近鉄がロッテ相手に記録しただけである。

 2リーグ分裂後、また戦後初の強力打線として命名された水爆打線は、以下の通りである。(ちなみに同年日本シリーズを制したパリーグの毎日オリオンズもミサイル打線と命名されている)とにかく、歴史的な凄い年であった。

1 金山次郎  セカンド
2 三村勲    サード
3 小鶴誠    センター
4 岩本義行  ライト
5 大岡虎雄  ファースト
6 木村勉    レフト
7 荒川昇治  キャッチャー
8 宮崎仁郎  ショート

 トップの金山次郎は、74個で盗塁王。この金山と小鶴、岩本が3割バッター。
小鶴、岩本、大岡虎雄のクリーンアップは、3人とも100打点以上。
クリーンアップが、100打点を超えた記録は、1985年阪神のバース、掛布、岡田と2002年のダイエー、バルデス、小久保、松中(この年は、6番城島も104打点)しかない。
Sun 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


各チームの史上最強助っ人

カテゴリー: 野球全般

ランディ・バース

 最近の外人で、長年助っ人としての活躍を見せているのは、中日ウッズ、オリックスのローズぐらいだが、過去において優勝に貢献し、本当に助っ人となった選手を列挙する。
史上最強外人は、セリーグがバース(阪神)、パリーグはブーマーであろう。二人とも三冠王タイトル保持者である。その他印象に残る助っ人をチーム別に列挙する。


セリーグ パリーグ
チーム 打者 投手 チーム 打者 投手
阪神 バース バッキー ロッテ レロン・リー ヒルマン
中日 マーチン 郭源治 ソフトバンク ズレータ スタンカ
横浜 ローズ クルーン 西武 デストラーデ 郭泰源
ヤクルト マニエル ブロス オリックス ブーマー アニマル
巨人 クロマティ サンチェ 日本ハム ソレイタ グロス
広島 ライトル ミンチー 近鉄 ブライアント パウエル
Thu 2008 | トラックバック(-) | comment(4)


各チームの時代を超えたベストオーダー

カテゴリー: 野球全般

長嶋茂雄

 最近のプロ野球が面白くなくなってきている理由の一つとして、スーパースター不在が挙げられる。 現在のスーパースターは、投手で日ハムダルビッシュ、野手では、阪神金本、ヤクルト青木ぐらいか。
そこで、時代を超えたスーパースターたちを紹介したい。守備位置別に最強打線を組んだつもりだが、巨人クロマティ、阪急加藤秀、蓑田、阪神岡田などは捨てがたい(他にも迷った選手は多い)  球団名は、変遷のあるチームは最強と思われるチーム名とした。

パリーグ

ロッテ 守備位置 南海 守備位置 西鉄 守備位置 阪急 守備位置 東映 守備位置 近鉄 守備位置
バレンタイン 監督 鶴岡 監督 三原 監督 西本 監督 水原 監督 仰木 監督
有藤 三塁手 広瀬 中堅手 高倉 中堅手 福本 中堅手 白仁天 中堅手 大石大二郎 二塁手
山崎 二塁手 藤原 三塁手 豊田 遊撃手 イチロー 右翼手 大下 二塁手 苅田 遊撃手
落合 一塁手 門田 左翼手 中西 三塁手 ブーマー 一塁手 張本 左翼手 永淵 中堅手
山内 中堅手 野村 捕手 大下 左翼手 長池 左翼手 大杉 一塁手 土井 一塁手
アルトマン 右翼手 松中 一塁手 清原 一塁手 森本 三塁手 小笠原 三塁手 ブライアント 右翼手
葛城 左翼手 ハドリ 右翼手 秋山 右翼手 マルカーノ 二塁手 ソレイタ 右翼手 関根潤三 左翼手
水上 遊撃手 ブレイザー 二塁手 二塁手 大橋 遊撃手 田中幸雄 遊撃手 中村紀洋 三塁手
醍醐 捕手 川崎 遊撃手 伊東 捕手 中沢 捕手 大宮 捕手 梨田 捕手
村田 投手 杉浦 投手 稲尾 投手 山田 投手 高橋直樹 投手 鈴木啓示 投手

セリーグ

阪神 守備位置 中日 守備位置 横浜 守備位置 ヤクルト 守備位置 巨人 守備位置 広島 守備位置
藤本 監督 与那嶺 監督 権藤 監督 広岡 監督 川上 監督 古葉 監督
藤田 遊撃手 中堅手 近藤和彦 中堅手 若松 中堅手 柴田 中堅手 高橋慶彦 遊撃手
金本 左翼手 高木 二塁手 近藤昭人 二塁手 武上 二塁手 青田昇 左翼手 正田 二塁手
バース 一塁手 江藤 左翼手 桑田 一塁手 佐藤 左翼手 一塁手 水谷 一塁手
掛布 三塁手 西沢 一塁手 ローズ 二塁手 マニエル 一塁手 長島 三塁手 山本浩二 中堅手
藤村 二塁手 谷沢 右翼手 小鶴 右翼手 広沢 右翼手 千葉 二塁手 前田 左翼手
景浦 中堅手 島谷 三塁手 松原 三塁手 池山 遊撃手 松井 右翼手 衣笠 三塁手
田淵 捕手 木俣 捕手 山下大輔 遊撃手 岩村 三塁手 篠塚 遊撃手 山本一義 右翼手
別当 右翼手 宇野 遊撃手 土井 捕手 古田 捕手 捕手 達川 捕手
村山 投手 杉下 投手 秋山 投手 金田 投手 別所 投手 長谷川良平 投手
Thu 2008 | トラックバック(-) | comment(0)


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