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球史に残る強力打線 10

カテゴリー: 記録

地元で愛された 近鉄いてまえ打線

R.ブライアント

 「いてまえ」とは大阪弁で、「やってしまえ」「やっつけろ」などの意味である。打線の雰囲気と地域性を同時に表すネーミングである。
 この名称は、近鉄の選手が相手投手を打ち込んだ際に近鉄応援団が「いてまえ~」と掛け声をしていたことに由来し、1990年代前半に自然発生的に誕生した名称で、2004年の近鉄球団消滅まで使われ続けた。(1980年代には、ネーミングされていない)
 つまり、近鉄・いてまえ打線は、阪神・ダイナマイト打線、松竹・水爆打線、毎日・大毎のミサイル打線、西鉄・流線型打線、南海400フィート打線などとは違い、特定の布陣を指すものではなく、メンバーは年度によって異なる。この傾向は、中日・強竜打線、広島・赤ヘル打線、横浜・マシンガン打線、ダイエー・ダイハード打線、日ハム・ビッグバン打線、オリックス・ブルーサンダー打線などと同じである。

 近鉄は長年、クリーンアップの長打力を重視した布陣を敷くことが多く、チーム本塁打数200本以上を3度(1980年、1985年、2001年)記録している。特に2001年は、チーム防御率がリーグ最低にもかかわらず、打線の力でチームをリーグ優勝に導いた。しかし、ただ本塁打を重視するのではなく、1番打者には俊足の選手を、2番打者には巧打の選手を必ず置いており、「いてまえ打線」の真骨頂はクリーンアップ頼りではなく、集中打による得点と、クリーンアップ以外の打者による効果的な本塁打である。
 
 1992年のいてまえ打線は、ラルフ・ブライアント、石井浩郎らの長打力に、大石大二郎(現オリックス監督)を中心とした機動力をミックスして得点を挙げた。 
 また、1980年代半ばから球団消滅まで、近鉄は捕手について1人を正捕手として固定起用せず、2人あるいは3人を併用していた。

   1992年いてまえ打線

1 大石大二郎    セカンド
2 新井宏昌      ライト
3 R.ブライアント   DH
4 石井浩郎      ファースト
5 金村義明      サード
6 J.リード      レフト
7 村上嵩幸      センター
8 古久保健二    キャッチャー
9 吉田剛       ショート

 この年は、タイトルホルダーなし。新井宏昌は、2000本安打を達成して、この年で引退。ブライアントは、シーズン198三振のプロ野球新記録を達成したが、三振かホームランという魅力的な選手だった。キャッチャーの控えには、光山英和がおり、8本塁打を放っている。外野には、9本塁打の鈴木貴久もおり、この年、外野手の規定打席到達者は村上だけであった。

 1993年も布陣に大きな変化はないが、引退した新井に代わってライトは、主に大洋から移籍したロバート・レイノルズが守っている。
 レイノルズは1991年、現役大リーガーとして大洋に入団したスイッチヒッターで、抜け目のない走塁と強肩が持ち味であった。1年目はプロ野球日本記録となる11打席連続安打を達成し、打率も.316をマークした。スイッチヒッターだが、右打席は極端な低打率で、左投手相手に左打席に立ったこともある。この年は外野手として、ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得している。
 近鉄に移籍した93年には、5番を任されたが、左投手に弱い点がネックとなり、常時出場できずに規定打席には達しなかった。

 J.リードに代わって、6番にはレフト鈴木貴久が入ったが、彼も含めて、この年の近鉄外野陣は、誰も規定打席には達しなかった。
 2番には、サードのポジションには、金村義明に代わって守った大島公一の出場が多かった。8番キャッチャーは、光山が出場機会を増やしている。
 トップの大石大二郎は、31盗塁で自身4度目の盗塁王を獲得しているが、35歳での盗塁王は、プロ野球史上最年長盗塁王である。
 また、ブライアントは、42本塁打と104打点で2冠王を獲得したが、シーズン204三振の世界新記録も樹立している。

 この年、6月5日のダイエー戦で9回裏に一挙7点をとって逆転サヨナラ勝ち。最終回での6点差逆転は日本記録である。

 1994年は、打線の爆発により7月26日から8月10日にかけて球団記録の13連勝(引き分けを挟む)を記録している。ブライアントが、2年連続ホームラン王、石井は、打点王に輝いている。3年間、ブライアントと石井は、不動の3・4番であった。 

 初期いてまえ打線は、92年~94年であるが、この間近鉄は一度も優勝していない。
パリーグ制覇は、1979年・80年・89年・2001年と4回あるが、日本一には、一度もなれないまま、2004年に球団消滅した。

 しかし、1997年8月24日のロッテ戦でプロ野球史上3度目の10点差逆転勝利(過去2回は、いずれも松竹)を記録したり、前述した、9回裏の6点差逆転サヨナラや2001年、北川博敏による代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打など、”逆転の近鉄”の異名をとるほど神がかった試合を何度も演出したユニークなチームである。
 
 1999年には、5試合連続2桁失点のワースト記録を樹立するなど投手陣崩壊のためチームは最下位であったが、ともにプロ野球史上初となるリーグ最下位チームからのベストナイン3人(中村紀洋、タフィ・ローズ、フィル・クラーク)選出、ローズによる本塁打・打点の2冠王誕生を記録した。
 2001年は、12年ぶり4度目のリーグ優勝を果たし、3番ローズ、4番中村の「二人で合計101本塁打」と、100本を超えたのはプロ野球史上初であった。


1980年、近鉄史上最強打線

 いてまえ打線と呼ばれる以前の最強布陣は、1980年である。前年から、2年連続のリーグ優勝を果たしたが、この年のチーム打率・本塁打数・得点数・打点数が近鉄バファローズとしての球団記録である。
  しかし、日本シリーズでは、前年同様2年連続して3勝4敗で広島に苦渋を飲まされた。
特に、この年のシリーズ7戦での”江夏の21球”は、あまりにも有名である。

1 平野光泰    センター    23本塁打
2 小川亨      ファースト   15本塁打
3 佐々木恭介   ライト      19本塁打
4 C.マニエル   DH       48本塁打
5 栗橋茂      レフト      28本塁打
6 羽田耕一    サード      30本塁打
7 梨田昌崇    キャッチャー   15本塁打
8 吹石徳一    ショート     12本塁打
9 石渡茂      セカンド      9本塁打

 9番石渡茂以外、1番から8番まで8人が2ケタホーマー、石渡も9本とあわやスタメン全員が2ケタホーマーであった。スタメン以外にも、梨田と共に2枚看板の捕手有田 が、16本、セカンドに、石渡と併用されたアーノルドが11本と、10人が2ケタホーマーを放ち、これは日本記録となっている。ポジション別を見ても、全ポジションが2ケタである。
 
 チーム本塁打数は、239本で2年前の広島の記録を更新する日本記録を樹立した。2004年に巨人に259本で更新されたが、1980年の近鉄は、130試合制での達成であった。
 得点791もパ・リーグ新記録を打ちたて、2003年に福岡ダイエーホークスが822得点を記録し、更新されるも、130試合での達成であり、試合数あたりで見ると依然パ・リーグ記録である。
 チーム打率.290は、当時パ・リーグ新記録で2003年に福岡ダイエーホークスが.297のプロ野球新記録を樹立するまで、22年間破られなかった。

 試合数を考慮すると、ホームラン・得点とも、1980年の近鉄が、史上最強だと思える。
Sun 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


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