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球史に残る強力打線 9

カテゴリー: 広島東洋カープ

機動力も兼ね備えた、広島赤ヘル打線

山本浩二

 広島東洋カープが初優勝したのは、1975年球団創立25年目であった。その間、根本陸夫監督が就任した1968年の3位を除き、毎年Bクラスに甘んじていた。根本が5年間采配を振るった後、別当薫森永勝也(.307で、史上最低打率ながら球団初の首位打者を獲得=野手では初のタイトルホルダー)とつないだが、いずれも最下位で1年間しか指揮を取らなかった。
 
 1975年、国内で初めて大リーグ出身監督として、ジョー・ルーツが、就任した。
ルーツは、「集団は確固たる指導方針を持った強烈なリーダーによって変わる」ということを身を持って示し「球界の革命児」と呼ばれた。前年まで3年連続最下位だったチームの帽子の色を、それまでの紺色から燃える闘志を表す赤色に変えた。広島の代名詞でもある「赤ヘル」の生みの親である。全力を出し切ったハッスルプレーを求め、消極的なプレーには容赦しなかった。
 一方で選手を集めた最初のミーティングで「君達一人一人の選手には、勝つことによって広島という地域社会を活性化させる社会的使命がある」と力説。その大局的な考え方は阿南準郎、木下強三、竜憲一、藤井弘各コーチや山本一義ら選手達に大きな影響を与えた。
 また、チーム編成においても一塁手だった衣笠祥雄を三塁へコンバートした他、センターライン重要説を唱え、日本ハムから闘将大下剛史を獲得し、二塁手として主将を任せ精神的な支柱とした。主力投手の大型トレードも断行(白石静生 大石弥太郎を阪急に放出し、児玉、宮本幸信、渡辺弘基 を獲得、安仁屋宗八と阪神・若生智男との交換など)。
大きな遺産としてメジャーでは一般的だったスイッチヒッター転向を高橋慶彦に指令したりした。 
 オフシーズンでのチーム改革の手腕から、シーズンでの戦い振りが大いに注目されたが、日米の野球の違いなどで審判と事あるごとに衝突。4月27日、佐伯和司投手の阪神・掛布雅之への投球をボールと判定されたことに激高し審判に暴行し、その日ダブルヘッダーであったが、第2試合を前に帰国してしまった。
 
 15試合だけで監督を辞任したルーツの後任に古葉竹識コーチが昇格し、同年広島は、大下、三村敏之の俊足1・2番コンビをはじめ、ゲイル・ホプキンス、山本浩二、衣笠祥雄のクリーンアップ、3年後には首位打者を獲得する水谷実雄、投手では、外木場義郎(20勝で最多勝と奪三振王)、池谷公二郎(この年18勝で翌年20勝で最多勝)、佐伯らの活躍で、球団創設25年目にして悲願の初優勝を達成した。
日本シリーズでは、日本一6度目の挑戦となった阪急に2引き分けのみ、1勝もできずに敗退した。
   
  1975年 元祖赤ヘル打線

1 大下剛史     セカンド
2 三村敏之     ショート      10本塁打
3 G.ホプキンス  ファースト     33本塁打
4 山本浩二     センター      30本塁打
5 衣笠祥雄     サード       21本塁打
6 R.シェーン    ライト       13本塁打
7 水谷実雄     レフト        13本塁打
8 水沼四郎     キャッチャー

 広島に走る野球を持ち込んだ、大下が44盗塁で盗塁王。山本浩二は、ミスター赤ヘルと呼ばれ、首位打者とシーズンMVPと日本シリーズで敢闘賞を獲得している。
ホームラン30本を超えたのは、山本とホプキンスだけだが、2番から7番までの6人が、2ケタホーマーを放っている。

史上初の200ホーマー打線

 1978年はチームとして日本プロ野球史上初のシーズン200本塁打を記録。また、シーズン30本塁打以上を4人、20本塁打以上を5人が記録するなど、日本プロ野球史に残る打線である。
浩二がホームラン王、水谷は首位打者に輝いているが、3位にとどまり、ヤクルトに初優勝を許している。

1 高橋慶彦     ショート
2 三村敏之     セカンド     11本塁打
3 J.ライトル     ライト       33本塁打
4 山本浩二     センター     44本塁打
5 水谷実雄     ファースト    25本塁打
6 A.ギャレット   レフト       40本塁打
7 衣笠祥雄     サード       30本塁打
8 水沼四郎     キャッチャー

 1978年に赤ヘルが作ったホームラン200発の記録は、翌年と80年の2年連続日本シリーズで降す近鉄に80年、239本で破られ、さらに、2004年には巨人に259本の日本記録を樹立されている。
 シーズン200ホーマー以上は、近鉄が3回(1980年、85年、2001年)巨人が2回(2001年、04年)と2001年にダイエーが1回記録している。広島を加えて4チームしかないが、2001年は、3チームが記録したことになる。
 しかし、指名打者制をとるパリーグや、各チームの4番打者を金に物言わせ、獲得してきた巨人とは、比べるべくもあるまい。カープは外人を除き、常に自チームで選手を育成してきた球団である。
 
 シーズン30本塁打以上を4人輩出したチームは、1985年の阪神(真弓、バース、掛布、岡田)、2001年のダイエー(井口、小久保、松中、城島)、2004年の巨人(ローズ、高橋、小久保、阿部)と2007年の巨人(小笠原、高橋、李、阿部)であり、広島を含み5回ある。

ビッグレッドマシン

 1996年は好打者が揃い、当時の監督である三村敏之によって「ビッグレッドマシン」と命名された。
しかし、投手陣の崩壊で3位に甘んじている。

1 緒方孝市    ライト             23本塁打           50盗塁
2 正田耕三    セカンド
3 野村謙二郎   ショート            12本塁打
4 江藤智      サード      .314    32本塁打
5 前田智徳    センター     .313    19本塁打
6 L.ロペス    ファースト     .312    25本塁打     109打点
7 金本知憲    レフト       .300    27本塁打
8 西山秀二    キャッチャー   .314

 この年、50盗塁で盗塁王を獲得した緒方は、前年95年から3年連続盗塁王。また野村は、95年に3割・30ホーマー・30盗塁を達成している。 
 打撃部門のタイトルホルダーは、109打点で打点王を手にしたロペスだけだが、2ケタ本塁打6人、4番江藤から8番西山まで、5人の3割打者を出している。
Sat 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


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