スポンサーサイト

カテゴリー: スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-- -- | トラックバック(-) | コメント(-)


球史に残る強力打線

カテゴリー: 野球全般

松竹ロビンス、水爆打線

小鶴誠

 プロ野球のリーグが発足したのは、1936年であるが、セ・パ2リーグに分かれたのは、1950年である。2リーグ分裂後、セリーグ初優勝チームが、松竹ロビンスである。
 同チームの母体は、1936年に結成された大東京軍で、翌年にライオン軍、1941年朝日軍、46年パシフィック、47年太陽ロビンス、48年大陽ロビンス、50年松竹ロビンスと変遷し、1953年に大洋ホエールズと合併した。
 1950年、松竹ロビンスは、強力な水爆打線と命名された打線を組んで、セリーグ初優勝の栄冠を手にした。
 エース真田重蔵は、39勝(1961年、西鉄稲尾の42勝に次ぐ記録)で、最多勝を手にしたが、何といっても特筆されるのは、小鶴誠であろう。日本初の50本塁打以上(51本)もさることながら、181打点の日本記録は、不世出のものである。打率も3割5分5厘(2位)、あわやいきなり3冠王である。実に驚異的数字である。戦後初の大打者と言える。
 しかし、さらなる驚きは、この小鶴を押しのけて4番の座に座ったのは、岩本義行(のちに近鉄の監督)で、岩本は、初代の3割・30発・30盗塁をやってのけている。ちなみにこの年、日本シリーズで対戦する、パリーグの毎日オリオンズ、別当薫(のちに近鉄・大洋・広島で監督)も3割・30発・30盗塁を達成している。また、別当も本塁打と打点の2冠王に輝き、打率もリーグ2位であった。(小鶴と共にあわや両リーグで同時3冠王)
日本シリーズでは、シーズン18勝した、第2エースの野村武史(エースは、ルーキーながら23勝で最多勝、防御率トップ、新人王の荒巻淳)が、3勝を挙げている。
全く、2リーグ分裂直後の年に、いきなりこういった大記録が生まれたことが、奇跡的だ。

 松竹の水爆打線に戻るが、この年、98勝35敗4分けで、勝率7割3分7厘と実に驚異的な数字で、1試合平均、6.63点をたたき出している。(日本記録)
シーズン最多勝利日本記録は、1955年の南海99勝に更新された。
 日本プロ野球の最大点差の逆転ゲームは、10点差で過去に3回だけあるが、その内2回を松竹がやってのけている。1949年10月2日の大映スターズ戦と1951年5月19日の大洋ホエールズ戦である。あとは、1997年8月24日、大阪球場で近鉄がロッテ相手に記録しただけである。

 2リーグ分裂後、また戦後初の強力打線として命名された水爆打線は、以下の通りである。(ちなみに同年日本シリーズを制したパリーグの毎日オリオンズもミサイル打線と命名されている)とにかく、歴史的な凄い年であった。

1 金山次郎  セカンド
2 三村勲    サード
3 小鶴誠    センター
4 岩本義行  ライト
5 大岡虎雄  ファースト
6 木村勉    レフト
7 荒川昇治  キャッチャー
8 宮崎仁郎  ショート

 トップの金山次郎は、74個で盗塁王。この金山と小鶴、岩本が3割バッター。
小鶴、岩本、大岡虎雄のクリーンアップは、3人とも100打点以上。
クリーンアップが、100打点を超えた記録は、1985年阪神のバース、掛布、岡田と2002年のダイエー、バルデス、小久保、松中(この年は、6番城島も104打点)しかない。
Sun 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


前ページ | | 次ページ











管理者にだけ表示を許可する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。