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記憶に残る選手 3

カテゴリー: 野球全般

日本人投手編
 
 近年打高投低が進み、選手寿命も野手の方が長い。MVPや1試合ごとのヒーローも試合を決めた打者の印象が強く、投手は完投でもしなければ、ヒーローになれない。ストライクゾーンも審判によって異なり、全く気の毒だといえる。打者は、バッティングマシンで練習できても、投手は自分で投げ込むしかない。

 前にも述べたように、ホームランの出すぎや、3割打者続出では、記録も陳腐化するし、試合そのものも大味となり面白くない。二転三転するシーソーゲームもいいが、自分としては、緊迫した投手戦の方が好きである。
 
 昔のローテーション投手は、中3日で完投も多かったし、各チームのエース級は、20勝が条件であった。今や先発陣は、1週間に1度の登板だし、先発・中継ぎ・押さえといった投手の分担制が確立し、中継ぎや押さえは、勝ちゲーム・負けゲームによっても異なっている。これでは大記録などできっこない。

 15勝近くの勝ち星でエースだし、2ケタ近くで立派なローテーション投手である。巨人・江川の頃より、100球が交代の目安となっている。そんなに昔の人と体力の差があるのであろうか?ボールもバットも飛びすぎると思う。打者の高打率争いとは、えらい違いである。

 明らかに投手不利の時代になっているのだから、ストライクゾーンとか、ボークの規制緩和とか、低反発バット使用とか、投手有利にするべきだと思うが---。今、投手の2段モーションが騒がれているが、打者のタイミングを外すのも、テクニックだと思う。これさえ厳しくしていったら、益々打者有利となり、高打率・ホームランの量産となり(現に最近、飛ばないボール使用などといっているが、ホームラン数はちっとも変わっていない)、大味な試合となり、結果的に試合時間の短縮はできないであろう。スピード感を売り物にし、1試合、2時間半ぐらいで終らせなければならないと思う。

 よく投手は、マウンドでは孤独といわれる。しかし、投手が投げなければ、試合は進まないし、勝敗の鍵も投手次第だと思う。そういった意味でもっと投手に有利な条件を作ってもらいたいと思う。
 
 この辺で歴代の名投手を挙げてみたい。

 400勝投手金田であるが、国鉄時代の印象が圧倒的に強い。何しろ国鉄は、毎年最下位候補の弱小球団であり、金田の孤軍奮闘のイメージが強い。弱小球団にいながら、オールスター前に20勝していた年もあった。
 
 同じく弱小球団ながら、小さな大投手といわれた、広島の長谷川良平と外木場が双璧であろう。
特に、外木場は、完全試合1回とノーヒットノーランを2回も達成している。合計3回は彼一人である。北別府も広島の大エースであるが、彼の頃のカープは強くなっていた。しかし、貧乏球団ゆえに、他のセリーグエース級と比べると、明らかに実績の割りに年俸は低かった。その後の大野も100勝100セーブと、先発・押さえの両方で活躍した。これらカープの過去のエースと比較すると、黒田は、波がありすぎた。
 
 大洋(横浜)では、秋山→平松→斉藤明夫→遠藤→佐々木、歴代巨人キラーである。大投手ではないが、12球団から勝ち星を挙げた野村や巨人のONキラーだった変則左腕の平岡の出発点も大洋であった。平岡は、通算成績もたいしたことはなかったが、広島に移ってもONに強く、「ONに飯を食わしてもらっている」と言ったものだ。
 
 阪神では、若林→景浦→三宅→小山→村山→江夏→小林であろう。小山は世紀のトレードといわれた東京・山内とのエースと4番の交換で阪神を去ったが、息の長い300勝投手である。村山対長島、王対江夏という、伝統の巨人・阪神戦における宿命のライバル対決として、プロ野球人気を盛り上げた。村山・長島の天覧試合対決はあまりにも有名だし、江夏が阪神を去った後、抑えとして南海・広島・日ハム・西武と渡り歩き、優勝請負人の名を馳せたのも記憶に新しいことである。小林も江川問題で阪神に移籍し、古巣巨人に意地を見せた。
 阪神ではこの他、広島・大野や大洋・斉藤らと並ぶ100勝100セーブの山本和行が挙げられる。
 
 国鉄・サンケイであるが、金田以外大投手はなく、ヤクルトになってからも、長い間のエースは、松岡と尾花・高津ぐらいで、岡林・西村・川崎等活躍期間が短く、怪我人が多すぎる。先発陣の怪我の傾向は、荒木・高野・岡林・伊藤・川崎・藤井・川島ら今でも伝統的である。弱小サンケイ時代の酒仙投手・石戸の印象が深かった。
 
 中日では、杉下→小川健太郎(黒い霧で選手生命は短かった)→星野仙一→小松→鈴木孝政・今中ぐらいか。杉下以外大物とは呼べない。星野の巨人キラーぶりは目立った。新人でいきなり30勝の権藤博は、投げすぎであまりに短命であった。こんな新人は、今後出るわけない。
 
 巨人であるが、このチームは伝統があるので、枚挙に暇はない。古くは、伝説的な投手、沢村・スタルヒンであり、その後も別所→中上(旧姓藤本)→渡辺省三→堀本→大友→堀内庄→城之内→宮田→中村稔→堀内→江川→斉藤雅樹→上原と続く。特に、中上はスライダーの考案者であり、国内初の完全試合達成、生涯防御率1.90とシーズン防御率0.73は、不滅の金字塔である。
 
 日ハム(東急・東映・日拓)では、野口二郎→土橋→森安(黒い霧で選手生命は短かった)→高橋直樹→金田留→柴田→西崎ぐらいか。ダルビッシュがその後継者と言えるか?。怪童・尾崎、タイトル総なめの木田を筆頭に毎年のように新人王を投手で輩出しているにもかかわらず、野口、土橋、高橋、西崎以外皆短い。
ちなみに金田留の時代は、昭和43年花のドラフト組で17勝を挙げても新人王を取れず、ロッテの有藤に持っていかれた。(セリーグは田淵)現在では、考えられないハイレベルであった
 
 ロッテ(大毎・東京)では、数の割には、荒巻淳→成田→木樽→村田兆治ぐらいしか見当たらない。黒木も怪我に泣いた。小林宏・渡辺俊介・清水らにどこまで長く続けられるか期待したい。
 
 オリックス(阪急)では、足立→米田→梶本→山田→佐藤→星野→山沖ぐらいか。他は、山口高志を筆頭に短命である。300勝投手米田のタフネスぶりが圧巻である。 
 
 近鉄では、弱小球団で長年エースであった、最後の300勝投手、鈴木啓示を絶賛する。同時代の清・佐々木・神部も影が薄れ、その後も大エースと呼ばれる投手は出現していない。強いてあげれば、野茂・井本ぐらいだが、野茂は大リーグでの印象の方が強い。吉井も細く長くだし、阿波野も短命である。
 
 西武(太平洋・クラウンライター・西鉄)球団遍歴は多いが、西鉄時代の神様・仏様・稲尾様が筆頭である。巨人との日本シリーズ3連敗後の4連勝すべてに勝ち星がついた奇跡の神話は、崩れようもない。しかも、奇跡は、第4戦の彼の逆転ホームランから始まっているのである。無論すべて先発ではないが、7戦中6戦に登板しているのである。他の投手は何をしていたのであろう。彼といい、後述する南海の杉浦といい、こんな投手は、2度と出ないし、こんな日本シリーズもこの先、永遠にありっこない。彼に続くエースは、池永であったが、黒い霧事件で球界から去ったのは、本当に惜しまれる。その後の大エースは、東尾である。西鉄時代の面影はすでに無く、身売りが続く弱小球団で、孤軍奮闘していた。西武で毎年優勝争いに加わることになって、渡辺久信・工藤・松沼兄弟・森・石井・新谷といたが、ダイエー・巨人・横浜と渡り歩いた工藤を除き、東尾に続く大エースの出現は、西口・松坂まで待たねばならなかった。特に松坂は、松坂世代と世間に言わせた。彼の損失は計り知れないものがある。
 
 最後に、ソフトバンク(ダイエー・南海)であるが、何といっても稲尾に並ぶ歴史的投手、杉浦である。彼は、阪神に入団した本屋敷と共にあのスーパースター長島の立教大学同期生である。(立教の主将は本屋敷)セの長島に並んでパのスーパースターであった。そして日本シリーズ、巨人を4連投でストレートで降したのである。こんな芸当は、前述した稲尾と彼以外、後にも先にも無いと断言できる。
 それほど偉大な投手が、名球界(200勝)入りしていないことが全く不思議である。昨今の名球界入りは、無理やり作られている感がして、あまり権威が無いように思える。杉浦に続くエースとしては、皆川ぐらいしかいない。、昭和43年に皆川は31勝し、その年18勝を上げた村上と二人でチームの勝ち星を過半数以上拾った。これも珍しい。当時の投手の鉄腕ぶりがうかがえる。その後の南海は、西鉄と共に低迷期を迎えた。(48年だけは、プレーオフで阪急を破り、野村・南海が日本シリーズに出場するも、V9最後の巨人に大敗した)山内トリオ・藤田・佐藤・江本らがいたが、大投手にはほど遠い。ソフトバンクになって、斉藤・新垣にその片鱗がうかがえる。
Mon 2008 | トラックバック(-) | comment(0)


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