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過去の主だった大型トレード 1

カテゴリー: 中日ドラゴンズ

大物トレード

落合博満

 1986年のシーズンオフ、世間に衝撃を与えたのは、落合博満の電撃トレードであろう。落合はロッテの看板打者で、あの王貞治でさえ成し得なかった史上初の三冠王3度の受賞者である。
 大体、巨人のONや広島の山本浩二、衣笠が、ストーブリーグを賑わす訳がなく、トレード話など笑われるだけであった。落合もそういう存在だと思っていた。ロッテというより、パリーグの看板選手であった。しかし、ロッテ球団ではーーーー。
 落合は3度も三冠王を獲得していながら、チームは一度も優勝争いさえしていない。これは、落合一人のせいではないが、高騰する年棒の割には、球団内での評価は低かったと言う事になる。
 
 落合ほどの高額選手を獲得できる球団は限られてくる。ここで巨人と中日の激しい争奪戦が展開されたのである。自分は、当然巨人が金に物を言わせて獲得するだろうと思っていた。ところが、ロッテでは、押さえの投手獲得が急務だったのである。争奪戦の結果は、リリーフエース牛島和彦を交換要員とした中日に軍杯が上がった。
しかし大物・落合に対して、如何に牛島と言えど、1対1のトレードでは釣り合いが取れず、何と前代未聞の1対4のトレードとなったのである。中には、ルーキーイヤーからセカンドのレギュラーを掴み、1982年の中日優勝に貢献した内野の要である上川誠二も含まれていた。後の二人は、平沼定晴桑田茂の両投手である。
 ちなみに、平沼は1996年に中日に戻っているが、このときのトレードもロッテ側は彼の他、前田幸長樋口一紀、中日側は、仁村徹、酒井忠清、山本保司という3対3のトレードであった。つまり彼は、プロ野球生活において生涯2度の大型トレードを経験しているのである。

 落合との交換要員となった4人のうち、ロッテで活躍したのは牛島だけであり、彼は2度の最多セーブを受賞している。しかし、全員優勝経験をしないまま、前述の平沼以外は、ロッテで現役を終えている。
 これに対して、中日に移籍した落合はいきなり3割を打ち、2年目には6年ぶりに中日をセリーグへの覇者へと導いている。彼自身プロ入り以来初めて味わう優勝の美酒であった。
2年間は無冠で終わったが、移籍3年目に打点王、4年目は打点・ホームランの2冠、5年目にもホームランのタイトルを手にし、中日でも不動の4番であった。7年間、中日に在籍したが、契約金の交渉縺れから1994年に巨人へ移籍、巨人には3年、その後日ハムへ移り、ここでは2年で現役に幕を閉じている。
 彼は、20年間のプロ野球生活で、3度の三冠王の他、ホームラン歴代6位、打点5位、長打率4位という長距離打者であった。打率も歴代8位と好打者振りも兼ね備えた天才スラッガーだったのである。

 ロッテ時代の落合は、一匹狼に見えたが、移籍した中日と巨人ではチームをまとめている姿が目に付き、監督になってからもこの経験が生かされていると思う。選手時代の個人成績は、ロッテ時代が一番良いが、ここでは優勝を経験していない。移籍先の中日と巨人で優勝を経験し、これも大きな財産となっている。
 監督・落合は常に堂々としており、選手を信頼している姿が目に付く。選手だけだなく、裏方にも大変な気の使いようだと聞く。自信に満ちた采配は、時に奇策にも移るが、彼の元で成長した若手も多い。不振の選手も信頼して我慢して使い続け、自信をつけた若手も多いはずだ。
 今期の中日は、春先調子が出ず、巨人に大きく水をあけられtが、彼が監督でいる限り、この先の展開は分からない。元々、中日の優勝は、神がかったシーズンが多かった。今後の落合采配に期待したい。
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Thu 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


東映の大型トレード

カテゴリー: 北海道日本ハムファイターズ

チームを変えた大トレード

張本勲

 1959年、東映フライヤーズ入団以来、レギュラーを張って来た天才打者・張本勲は、ルーキーイヤーで新人王、2年目には3割、3年目に首位打者を獲得。4年目の1962年には、MVPを獲得し、東映初優勝に大きく貢献している。
 その後も「安打製造機」の異名を取り、毎年のように20本塁打以上と首位打者争いに加わり、チーム名が日拓~日本ハムに変わるも、巨人に移籍する1976年までの在籍17年間で、7度の首位打者に輝いている。
 1967年からレギュラーに定着した大杉勝男と3・4番を組み、チームの牽引車となっている。大杉は、1968年より6年連続30本塁打、1970年からは3年連続40本塁打を放ち、1970年・71年と2年連続本塁打王、また1970年・72年と2度の打点王に輝いている。

 しかし、張本・大杉時代は一度も優勝していない。巨人の王・長島のON砲に勝るとも劣らないHO砲は、一度も優勝に貢献していないのだ。
 張本は、子供の頃からガキ大将で、学生時代は喧嘩に明け暮れていたという。東映でも大杉を筆頭に白仁天、大下剛史、高橋博士、金田留広、尾崎行雄らを子分に従え、張本一家を構築していた。東映の歴代監督やコーチは、張本を如何に制するかで頭を悩ましたと言われている。

 そして、球団は旧東映色を一掃すべく、1974年~76年に張本一家の放出に踏み切ったのである。
この間の大物トレードは以下である。

1974年  金田留広⇔野村収(ロッテ)
1975年  大下剛史⇔上垣内誠、渋谷通(広島)
1975年  白仁天  ⇔東田正義(太平洋クラブ)
1975年  大杉勝男⇔小田義人、内田順三(ヤクルト)
1976年  張本勲  ⇔高橋一三、富田勝(巨人)

 これらのトレード効果はどうであったろう。チームの体質改善を図った日本ハムだが、パリーグを制するのは、1981年まで待たねばならなかった。
 それでは、選手個々の成績であるが、まず、兄正一が監督するロッテに移籍した金田留広は、この年16勝をマークし、2度目の最多勝とパ・リーグMVPを獲得、チームの24年ぶりの日本一に大きく貢献した。しかし、その後はパットせず、1979年には広島に移籍している。
 大洋を振り出しにロッテ~日ハムと移籍した野村収は、日ハムに4年間在籍し、毎年30試合近く登板したが、また大洋へ戻っている。その後阪神へと渡り歩き、12球団から勝ち星を挙げた最初の投手になっている。

 広島へ移籍した大下は、広島野球を変えた。開幕当初、日本初の大リーグ経験監督と騒がれたジョー・ルーツであったが、指揮を取ったのはわずか15試合、その後監督が古葉竹識に変わっている。
しかし大下は、キャンプ中からルーツが目指した「走る野球」の申し子であった。大下はトップバッターとしてチームを牽引し続け、初の盗塁王を獲得し、広島に悲願の初優勝をもたらしたのである。
比較的おとなしい選手が多かったカープに、彼の闘争心を植え付けたのだ。
 彼に対して、日ハム入りした上垣内誠渋谷通は、それぞれ守備要因と控えの1塁手という形でレギュラーにはなれなかった。

 太平洋に移籍した白は、水を得た魚のごとく、この年初の首位打者を獲得した。太平洋には2年、その後ロッテと近鉄に移籍している。20年間に渡り日本球界で活躍した白だが、1982年に発足した韓国プロ野球のMBC青龍に入団。同年に監督兼選手(指名打者)として打率.412をマークし、首位打者を獲得。この記録は現在まで韓国プロ野球史上シーズン最高打率で、韓国プロ野球史上唯一の4割打者となっている。
 白の代わりに期待された東田正義は、日ハムでパットせず、この年限りで阪神に移籍し、阪神でも2年在籍しただけで引退した。

 大杉は、ヤクルト移籍の1年目はスランプに陥ったが、2年目には3割をマーク、3年目の1977年には打率.329、31本塁打、104打点という成績を残した。翌78年も同様の活躍を見せて球団のリーグ初優勝に貢献、日本シリーズではMVPに輝いた。1981年には.343という生涯最高の打率を記録するが、首位打者には及ばなかった。1983年限りで現役引退するも、この年の6月3日に前人未踏の両リーグ1000本安打を達成した。両リーグ200本塁打には惜しくもあと1本及ばなかった。
 大杉に代って、日ハムに移籍してきた小田義人は、太平洋に移籍した白と最後まで熾烈な首位打者争いをした。3年間日ハムに在籍し、その後南海、近鉄と渡り歩いたが、日ハム移籍した初年が、彼の生涯最高の成績であった。もう一人の内田順三は、2年間日ハムに在籍した後、広島に移っているが大した成績は残せなかった。

 子分たちを他チームにトレードされた親分・張本であったが、最後には彼自身も巨人に移籍した。これは、出されたというより、前年屈辱のセリーグ最下位に沈んだ長島・巨人の再建として、巨人から望まれたものであった。巨人からは、左腕エースの高橋一三と長島の後継者として期待の高かった富田勝が交換要員という大物トレードであった。
 天才打者・張本はセリーグでも、移籍1年目から惜しくも首位打者こそ逃したものの.355という高打率を挙げている。1年目・2年目とも高打率で打撃成績2位で、2年連続セリーグ制覇に大きく貢献した。巨人に4年在籍した後、ロッテに移り、ロッテ2年間でユニフォームを脱いでいる。
彼こそ、現代のイチローに匹敵する不世出の大打者である。
 張本に代って期待された高橋一三も、8年間日ハムでローテーションを守った。引退後も日ハムのコーチが長かった。富田勝も5年間、日ハムで外野のレギュラーを守った。最後の1年を中日で過ごし、12球団から本塁打を放つという史上2人目の記録を達成している。


 東映からの大型トレードを述べたが、5件のトレードのうち、白を除いた4人の元東映選手が、優勝に貢献している。東映で成し得なかった(張本の1962年初優勝を除く)優勝の美酒を彼等は、他チームで経験した事になるのだ。日本で優勝を経験出来なかった白も、韓国ではLGツインズの監督として優勝の美酒に酔っている。
 その昔、暴れん坊軍団と言われた頃より、東映にはユニークな個性派揃いの選手が多かった。個人のレベルは、かなり高くてもチームとしては、結集出来なかった。監督もコーチも水原始め優秀な人達だったにも関わらずである。実に不思議なチームである。
Sun 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


世紀の大トレード

カテゴリー: 野球全般

前代未聞の大型トレード

小山正明

 日本プロ野球は、1950年に2リーグに分裂したが、セリーグは8球団でスタートした。即ち、大阪タイガース、読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ、大陽ロビンス(松竹ロビンス)の既存球団と、大洋ホエールズ、西日本パーレーツ、広島カープス(のちにカープに改名)、国鉄スワローズである。

 2リーグ分裂に伴い、選手の引き抜き合戦が激しく繰り広げられた。特にパリーグの毎日オリオンズは選手の引き抜きに熱心に動き、タイガースの若林忠志監督兼投手を誘う。
当時、若林は阪神球団幹部との関係があまり良くなかったこともあり、毎日の要請に応じる。それに伴い、若林を慕う別当薫、呉昌征、本堂保次、土井垣武、大館勲が行動を共にして移籍した。
 タイガースの主力をゴッソリ引き抜いた毎日は、この年パリーグ優勝を果たした。日本シリーズでも、セリーグの覇者・松竹を降し、初の日本一の栄冠に輝いた。
さらに、タイガースから長谷川善三が西鉄クリッパースへ、門前真佐人が大洋ホエールズへ去り、チーム力は著しく低下した。

 こうして、名門タイガースはリーグ初優勝を12年後の1962年まで待たねばならなかったのである。
1953年に入団した小山正明は、この年5勝、翼54年には11勝を挙げて頭角を現す。58年から3年連続20勝以上を達成。1962年はセリーグ記録の5試合連続完封、当時の球団記録の47イニング連続無失点を樹立(2008年シーズン終了時点での球団記録は2006年の藤川球児による47回2/3)。村山実と共に2本柱としてリーグ優勝に貢献し、沢村賞を受賞した。

 初優勝した翼63年のシーズンオフに衝撃が球界を襲った。強力打者を補強したい阪神、ローテーションの柱となるような投手を補強したい大毎という両チームの思惑もあり、20勝投手と4番打者の大トレードが実現した。阪神の大エース小山と大毎(前毎日)の4番打者・山内一弘との「世紀の大トレード」である。
 1960年代から各球団のトレードが活発に行われるようにはなっていたが、大物選手同士のトレードは、これが史上初であり、「世紀のトレード」と表現されるほど世間の関心を集めたのである。

 山内は、大毎入団3年目からレギュラーに定着し、 田宮謙次郎、榎本喜八などとともに「ミサイル打線」の中軸として活躍していた。1960年には32本塁打を放ち、本塁打王と打点王を獲得し、パ・リーグMVPを受賞し、優勝に貢献している。
 阪神に移籍した4年間は、打率最高が.261と振るわなかったが、その野球に取り組む姿勢は次世代の選手には多大なる影響を与えた。
 また、1965年7月4日にプロ野球史上初の300本塁打、阪神最後の1967年10月14日には、昭和生まれでは史上初、プロ野球史上では川上哲治に次ぐ2人目の2000本安打を達成している。
 
 翼68年には、根本陸夫監督に請われ広島東洋カープに移籍。王貞治、長嶋茂雄に次ぐ打率3位の.313を放ち、自らの存在感を示し、ここでも山本一義、衣笠祥雄、山本浩二、水谷実雄、三村敏之、井上弘昭、水沼四郎ら数多くの生きた教材として活躍した。1970年、400本塁打まであと4本と迫りながらも現役引退。背番号8は山本浩二に受け継がれる。首位打者1回、本塁打王2回、打点王は4回獲得。ベストナイン10回受賞と堂々たる成績を残している。

 一方の小山は、大毎へ移籍1年目にいきなり30勝を挙げ最多勝に輝いた。続く1965年と1966年にも2年連続20勝を達成した。その後、球団名がロッテに変更された2年目の1970年には、成田文男 、木樽正明と共に3本柱の一角として、リーグ優勝に大きく貢献した。1973年に大洋へ移籍し、この年限りで引退した。
 2008年シーズン終了時点で日本プロ野球唯一のセ・パ両リーグでの日本シリーズ登板、および、両リーグでの100勝記録保持者である。


 日本でのトレードは昔から、「出された」などのマイナス的な暗いイメージが付きまとう。しかし、この小山と山内の「世紀のトレード」は、両チームの弱点を補うための、チーム同士の思惑通りのプラス的交換トレードである。両者とも移籍先のチームを変えたと言える。
 このようなチームを活性化させる大型トレードは、どんどんやってもらいたいものである。
Sat 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


投手の3本柱もしくは四天王

カテゴリー: 野球全般

優勝を支えるチームの柱

3本柱

 1950年の2リーグ制以降、各球団はヤクルト(国鉄とサンケイ時代も含める)と楽天を除き、愛称が付けられた強力打線を構成してきたことは、既に書いてきた。強力打線で優勝の栄冠を勝ち取ったチームもあったが、やはり野球はピッチャーである。投手を中心とした守りで栄冠を手にしたチームの方が圧倒的に多いからである。
 派手な打ち合いもそれなりに面白いが、息詰まった投手戦こそ見応えがある。今回は、チームを支えた。投手の3本柱および四天王について述べたい。

 球史を振り返って、最初の強力な3本柱は、1956年の西鉄である。
この年南海は、最終的に田沢(15勝)、野母得見(14勝)、長光(13勝)、皆川(11勝)、小畑戸川(10勝)と、6人もの2ケタ投手を輩出している。前半から独走状態だったが、最後は西鉄に0.5ゲーム差で逆転優勝を許している。 
 この年の西鉄3本柱が、島原(25勝)、稲尾西村(21勝)の20勝トリオである。20勝トリオは、長い球史の中でもこの年しか生まれていない。12球団全体で20勝投手が一人出るか出ないかという、今の時代では、同一チームに3人など到底考えられない記録である。
 西鉄は、日本シリーズでも巨人を降し、この年から日本一3連覇の偉業を遂げている。

 連覇といえば、1967年からリーグ3連覇を達成し、阪急の第一期黄金時代を築いた投手陣は、米田・梶本・足立・石井茂雄の四天王で、全員20勝を経験している。通算成績も米田(350勝)、梶本(254勝)、石井(189勝)、足立(187勝)と、堂々たるものである。その後は、山田久志・今井雄太郎・佐藤義則(後半は山沖星野もかぶっている)に受け継がれたが、全員100勝以上している。
 
 西本監督率いた阪急は、一度も日本一になれなかったが、阪急に大きく立ちはだかったのが巨人である。大投手・名投手を数多く輩出している巨人であるが、V9を支えた巨人の3本柱は、堀内・高橋一三・渡辺秀武である。それ以前は、藤田・城之内・中村稔らがかぶる時期がある。(金田は巨人では大した活躍をしていない)
その後の巨人では、斉藤・槙原・桑田の時代が長い。

 V9巨人と日本一の覇権を争ったのは、南海・阪急・ロッテだけであるが、ロッテの3本柱は、成田・木樽・小山である。1970年には、この3本柱を擁し、さらにホームラン20発6人衆を揃えて満を持して巨人に対したが、1勝4敗と惨敗した。その後のロッテの3本柱は、小宮山・黒木・ヒルマンや最近の清水・小林・渡辺だが、期間も短く過去の3本柱に比べると線が細い。2005年には、その3人に加え、小野・久保・セラフィニを含めて、史上3度目の2ケタ投手6人を輩出して優勝している。

 2ケタ勝利6人の記録は、2005年のロッテと先に挙げた1956年の南海の他は、1963年の2度目となる南海で、7/10時点で2位に14.5ゲーム差をつけながらまたしても西鉄に逆転優勝を許している。
この年の布陣は、森中(17勝)、スタンカ杉浦(14勝)、三浦清弘(13勝)、皆川(12勝)、高橋栄一郎(11勝)である。

 セリーグでV9巨人と覇権を争ったチームを見渡すと、阪神の前半が、村山・小山・バッキー、後半が江夏・上田・古沢。大洋は、平松・山下・坂井が印象的。比較的巨人に強かった広島の四天王が、外木場・安仁屋・白石・大石、その後は、池谷・佐伯・福士・金城、最近では、北別府・川口・大野までだろう。
 中日では、星野・稲葉・松本・三沢時代と小松・都・鈴木孝政(但し押さえ時代もあるので短い)ぐらいか。

 チームの両輪と言われるように、先発2人まではどのチームもいつの時代も定着しているが、強力な3人及び4人が3年以上固定されているとなると、意外に少ない。
以前も記したが、リーグ3連覇以上しないと、チームの黄金期とは言えないと思う。そういう意味ではセリーグでは巨人だけだし、パリーグでも南海、阪急、西鉄(西武含む)しかない。新の3本柱とは、年間15勝近くを3年以上経験し、チームの優勝に貢献できてこそのものだと思う。

 南海の黄金時代の立役者は、杉浦・皆川・スタンカ・三浦の四天王である。全員100勝以上している。西武では、東尾松沼兄弟、その後は、両渡辺石井丈裕ぐらいであろうか?長いという事からは、近鉄の鈴木啓二・神部・清・佐々木宏一郎の四天王もバラエティに富んでいた。


 先発投手の3本柱および四天王では、20勝トリオの西鉄(島原・稲尾・西村)と阪急第一期黄金時代への立役者(米田・梶本・足立・石井茂雄)、南海黄金時代の四天王(杉浦・皆川・スタンカ・三浦)V9巨人の功労者(堀内・高橋一三・渡辺秀武)などが特筆される。
Tue 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


今年のリーグ戦

カテゴリー: 野球全般

半分経過したリーグ戦を振り返って2

ソフトバンク・ホークス

 セリーグ同様、日ハムの健闘は予想されたが、意外だったのはオリックスの体たらく振りと、ソフトバンクの快進撃である。開幕から調子の良かった楽天の下降はミエミエだったし、もたついていた西武もいずれ盛り返してくる事は間違いないと思っていた。楽天の岩隈と田中マー君の2本柱は、安定していると思っていたが、岩隈が去年ほどでない事は予想がついていた。中継ぎ・押さえが不在な事も予想通りであった。5月一杯、思った以上に打線が活発だったため、主意戦線にとどまっていたが、交流戦から凋落の一途を辿って行った。逆に選手層の厚い西武のもたつきは意外であったが、思った以上に中継ぎ・押さえが悪かった。しかし、戦力的に見ればパリーグ一であろうから、上がってくる事は間違いなかろうと見ていた。自分が開幕前に予想していたAクラス(プレーオフ進出チーム)は、西武・日ハム・オリックスであったが、現実はオリックスとソフトバンクが入れ替わった。

 それにしてもソフトバンクの秋山新監督の手腕は見事である。野手では、松中小久保が衰え、ここ数年来新外人も戦力になっていない。多村は怪我が多く、一年を通して働けない。最近は、川崎まで怪我がちになってきている。キャッチャーも固定していない。
 投手を見ても、エース斉藤は未だに一軍未登録。新垣の不調は続き、昨年活躍した大隣も出来過ぎの感があったし、大場も伸び悩んでいる。押さえの馬原は安定しているものの、彼も怪我で出遅れ。計算できる中継ぎ不在の状態であった。開幕前に計算出来る先発は、杉内和田だけだと読んでいた。

 案の定、新垣と大場の登板はほとんどなく、大隣もパットしなかった。交流戦では、和田まで怪我で戦列を離れた。こんな状態の投手陣の救世主は、先発では2年目のホールトンと今まで中継ぎだった藤岡である。交流戦からは、新外人ジャマーノも出てきた。しかし、何よりプラスの誤算は、中継ぎ二人の安定感である。新人の摂津と新外人ファルケンボーグは、ほとんど打たれていない。摂津の新人王は、まず間違いないと思う。

 野手で成長著しいのは、開幕から外野の一角を掴み取った長谷川城島が抜けた後の課題だったキャッチャーに固定した田上である。6番長谷川の高打率と9番田上の長打力には、舌を巻く。元々田上のバッティングには定評があったが、リードがまずくキャッチャーとして使ってもらえなかった。しかし、今年はリード面も急成長したのか、途中から正捕手に定着した。投手陣が良くなったのも、彼の功績が大きいと思う。

 さらに忘れてならないのは、交流戦前に獲得した元ロッテのオーティスである。彼は、オリックスとロッテ時代にセカンド、サード、ファースト、時には外野まで守った。20本近いホームランの打てる内野手を何故ロッテが、今シーズン契約しなかったのか不思議であった。
 とにかく、彼がホークスに入団してから俄然チームは勝ち出した。交流戦には、多村も戻ってきたし、開幕戦で怪我をして以来、出場していなかった松田も戻って来た。彼等の活躍でソフトバンクは交流戦の優勝を果たした。その後も快進撃が続き、上位から下位まで途切れのない打線は、他チームの脅威となっている。

 ベンチでどっしり構える秋山監督は、前述の長谷川や田上の抜擢、松田や本多という若手に対する信頼感も伝わってくる。若手とベテランの歯車がかみ合っている気がする。摂津→ファルケンボーグ→馬原という投手リレーは、完璧である。そうなるとチームの大崩は考えにくく、試合巧者の日ハムと後半も激しい首位争いを演じていく事になろう。この2強を、元々選手層では定評のある西武が追う形となり、パリーグ戦線は、AクラスとBクラスがハッキリ分かれた展開になっていくと思う。
Mon 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


今年のリーグ戦

カテゴリー: 野球全般

半分経過したリーグ戦を振り返って1


4.9巨人対中日

セリーグ編

 開幕前から予想された事だが、セリーグは巨人が強すぎて面白くない。意外だったのは、中日の健闘振りである。エース川上憲伸と4番タイロン・ウッズが抜け、自分も苦戦を予想していた。阪神は、岡田監督が変わったいきさつに不審を感じていたし、今の横浜は誰が監督をやっても変わり様がない所から、自分は巨人の独走で、追うチームはヤクルト・広島を予測していた。

 案の定、巨人は独走だが、中日と広島が予想とは入れ違った展開になっている。現在ヤクルトが2位とは言え、このチームは巨人に全く歯が立たない所から、中日に抜かれる事は時間の問題であろう。

 そこで思い出すのは、春先に巨人に3連敗した後の中日・落合監督の言葉である。「巨人を追うのはうちしかない。」これを聞いて自分は、単なる負け惜しみとは思えなかった。あの頃の中日は、チームがどん底状態だったのだ。ウッズに変わり、4番を任された新外人のブランコは三振と凡打の山を築いていた。井端荒木も調子が出ず、期待の森野に至っては、絶不調。正捕手・谷繁の戦線離脱、オープン戦好調だった藤井とルーキー野本も精彩を欠いていた。結局野手では、和田だけが孤軍奮闘していた状態であった。
 先発投手を見ても、開幕投手浅尾が調子を崩し、中田、山井、小笠原、山本昌は、一軍登録さえされていなかった。先発陣はまだ、チェン、吉見、朝倉と成長著しい川井と揃っていたが、中継ぎ陣が崩壊状態だった。平井は衰え、高橋聡文も調子が出ず、ネルソン、パヤノの助っ人もパットしなかった。春先は押さえの岩瀬も毎年調子が出ず、巨人の亀井に逆転ホームランされている。

 こういったチーム状態が最悪の中でも、落合は手応えを感じたのであろう。一時は、10ゲーム近いゲーム差を巨人につけられながらも、交流戦からじわじわ上がってきている。ヤクルトという苦手チームもあり、巨人との対戦成績も水をあけられているが、必ずや後半は巻き返すであろう。
 落合の選手を見る目は確かだと思う。野手は選手層が薄いため、ほぼ固定して使っているが、投手の一・二軍の入れ替えは激しい。すぐ見切りをつけて、看板投手でも二軍に落とすが、調整させまた一軍に呼び戻している。野手の選手層は、阪神やヤクルトとよりずっと薄い。4番ブランコをずっと我慢して使い続け、見事に開花させている。3番森野と5番和田は固定で、不振であっても絶対変えていない。思い切りの良さと忍耐強さが常に同居している名監督だと思う。

 中日に対して、情けないのは阪神だ。投手陣が怪我人続出という不運はあるが、昔から選手の怪我が多すぎる。新人王を取った上園を始め、小嶋、筒井、杉山、能見、石川、岩田と若手が1年しか活躍していない。福原は、毎年怪我に泣かされ、今年は鉄腕久保田までダウンし、未だに1軍に上がっていない。
 巨人に次いで金のある球団で、毎年大物外人を補強しているが、全く活躍していない。真の助っ人はバースまで遡る事になる。赤星が怪我がちになり、鳥谷新井の不振には目を覆うばかりだ。藤本が活躍したのは一年だけ、桜井は共に伸び悩んでいるため、外野陣は金本以外は固定していない。巨人には、去年の9月からまるで歯が立たなくなってしまった。去年の前半には、あれだけ巨人をたたいたにも拘らず、結局シーズンでは負け越し、今年も1勝しかしていない。先日の3連戦も1引き分けがやっとである。中継ぎで好調を維持してきたアッチソンが打たれ、今年は、波に乗れない藤川も打たれて追いつかれた。追いつかれれば、タイムリー欠乏症のチームが勝てる訳もなく、引き分けが精一杯なのだ。

 横浜にしてもヤクルトにしても、巨人3連戦でこれまで勝ち越した事がなく、阪神も含んだこれら3チームは、おそらく今年、3連戦の勝ち越しはないであろう。これでは、巨人は楽である。如何に中日が頑張っても、巨人にはお得意さんが3チームもあるのだから。
 大体毎年のように巨人は、ヤクルト飲んで、横浜銀行に貯金して勝ってきたチームである。伝統の一戦といわれる阪神には、数段の奮起を望む。今年のセリーグを面白くなくしているのは、明らかに阪神なのである。
Mon 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


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