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過去の主だった大型トレード 1

カテゴリー: 中日ドラゴンズ

大物トレード

落合博満

 1986年のシーズンオフ、世間に衝撃を与えたのは、落合博満の電撃トレードであろう。落合はロッテの看板打者で、あの王貞治でさえ成し得なかった史上初の三冠王3度の受賞者である。
 大体、巨人のONや広島の山本浩二、衣笠が、ストーブリーグを賑わす訳がなく、トレード話など笑われるだけであった。落合もそういう存在だと思っていた。ロッテというより、パリーグの看板選手であった。しかし、ロッテ球団ではーーーー。
 落合は3度も三冠王を獲得していながら、チームは一度も優勝争いさえしていない。これは、落合一人のせいではないが、高騰する年棒の割には、球団内での評価は低かったと言う事になる。
 
 落合ほどの高額選手を獲得できる球団は限られてくる。ここで巨人と中日の激しい争奪戦が展開されたのである。自分は、当然巨人が金に物を言わせて獲得するだろうと思っていた。ところが、ロッテでは、押さえの投手獲得が急務だったのである。争奪戦の結果は、リリーフエース牛島和彦を交換要員とした中日に軍杯が上がった。
しかし大物・落合に対して、如何に牛島と言えど、1対1のトレードでは釣り合いが取れず、何と前代未聞の1対4のトレードとなったのである。中には、ルーキーイヤーからセカンドのレギュラーを掴み、1982年の中日優勝に貢献した内野の要である上川誠二も含まれていた。後の二人は、平沼定晴桑田茂の両投手である。
 ちなみに、平沼は1996年に中日に戻っているが、このときのトレードもロッテ側は彼の他、前田幸長樋口一紀、中日側は、仁村徹、酒井忠清、山本保司という3対3のトレードであった。つまり彼は、プロ野球生活において生涯2度の大型トレードを経験しているのである。

 落合との交換要員となった4人のうち、ロッテで活躍したのは牛島だけであり、彼は2度の最多セーブを受賞している。しかし、全員優勝経験をしないまま、前述の平沼以外は、ロッテで現役を終えている。
 これに対して、中日に移籍した落合はいきなり3割を打ち、2年目には6年ぶりに中日をセリーグへの覇者へと導いている。彼自身プロ入り以来初めて味わう優勝の美酒であった。
2年間は無冠で終わったが、移籍3年目に打点王、4年目は打点・ホームランの2冠、5年目にもホームランのタイトルを手にし、中日でも不動の4番であった。7年間、中日に在籍したが、契約金の交渉縺れから1994年に巨人へ移籍、巨人には3年、その後日ハムへ移り、ここでは2年で現役に幕を閉じている。
 彼は、20年間のプロ野球生活で、3度の三冠王の他、ホームラン歴代6位、打点5位、長打率4位という長距離打者であった。打率も歴代8位と好打者振りも兼ね備えた天才スラッガーだったのである。

 ロッテ時代の落合は、一匹狼に見えたが、移籍した中日と巨人ではチームをまとめている姿が目に付き、監督になってからもこの経験が生かされていると思う。選手時代の個人成績は、ロッテ時代が一番良いが、ここでは優勝を経験していない。移籍先の中日と巨人で優勝を経験し、これも大きな財産となっている。
 監督・落合は常に堂々としており、選手を信頼している姿が目に付く。選手だけだなく、裏方にも大変な気の使いようだと聞く。自信に満ちた采配は、時に奇策にも移るが、彼の元で成長した若手も多い。不振の選手も信頼して我慢して使い続け、自信をつけた若手も多いはずだ。
 今期の中日は、春先調子が出ず、巨人に大きく水をあけられtが、彼が監督でいる限り、この先の展開は分からない。元々、中日の優勝は、神がかったシーズンが多かった。今後の落合采配に期待したい。
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Thu 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


球史に残る強力打線 7

カテゴリー: 中日ドラゴンズ

何度も歌になった強竜打線

燃えよドラゴンズ!

 中日ドラゴンズは、1954年天知監督の下、西沢、杉山悟、杉下茂、石川克彦らの活躍で初優勝。日本シリーズでも西鉄ライオンズを4勝3敗で下し、初の日本一を制した。2度目のセリーグ制覇は、与那嶺監督が率いた1974年で、実に20年振りであった。日本シリーズでは、ロッテに敗れている。
 
 前年は、巨人と阪神がデッドヒートを繰り広げていたが、阪神が残り2試合(中日戦と巨人戦)のどちらかに勝てば優勝と言う時に、中日のエース星野仙一が立ちはだかり、阪神の優勝に待ったをかけたのである。最終戦に阪神は巨人に大敗し、涙を呑んでいる。
結果的に、星野が阪神の優勝を阻止したわけだが、アンチ巨人の星野は、勝利を喜ばなかった。
ヒーローインタビューで彼は、「阪神に勝って欲しいが、自分もプロである以上、手を抜く訳にいかない。阪神には、頑張って貰いたい。(翌日の巨人戦で)」と答えている。
 ここに星野の男気を見た。そして見事翌年、巨人のV10を阻止したのである。この年に、巨人・長島は、引退している。

 実際、この年の秋から球界は、ドラゴンズ色で盛り上がり、山本正之が作詞・作曲し、中日の初代リリーフエースで巨人キラーであった坂東英二が歌った”燃えよドラゴンズ”が、毎日のようにラジオで流れていた。そしてこの曲は、その後も歌詞を変えて何度もレコード・CD化されている。(75,77,79,82,87,88年、91年以降は、ほぼ毎年) 

 強竜打線は、チーム名から愛称化されたもので、これまでに紹介した松竹水爆打線/毎日・大毎ミサイル打線/西鉄流線型打線/南海400フィート打線/阪神ダイナマイト打線などとは、性質が異なり、迫力・破壊力とも見劣りする。また、いつ命名されたのかも、何年のどのメンバーの事を言っているのかも明確ではない。ただ、1974年は歌と共にドラゴンズの快進撃が、社会現象ともなったので、ここに掲げることにした。自分にとって、印象強いこの年こそ強竜打線と呼べるに相応しい気がする。

  1974年 強竜打線(歌詞に出てくる不動のオーダー)
 
1 高木守道    セカンド
2 谷木 恭平   センター
3 井上弘昭    レフト
4 G.マーチン  ライト
5 谷沢 健一    ファースト
6 木俣達彦    キャッチャー
7 島谷金二    サード
8 広瀬宰     ショート

 投手では、松本幸行が、広島の金城基康と共に20勝で最多勝のタイトルを、そしてこの年から導入された最優秀救援投手のタイトルに先発・抑えの両輪で活躍した星野が、受賞しているが、打撃部門でのタイトルホルダーは、皆無であった。巨人・が前年に続く2年連続の3冠王に輝き、MVPも持っていかれている。
 ホームランバッターもマーチン一人で、歌にあるようにあくまで、つなぐ打線であった。マーチンは、この年後半に怪我をしたが、優勝を争っている最中ということで、それを隠して試合出場している。浪花節の分かる真面目な優良助っ人であった。

 参考までに、元祖”燃えよドラゴンズ!”の歌詞を掲載する。

1.遠い夜空にこだまする
  竜の叫びを耳にして
  中日球場つめかけた
  僕らをじいんとしびれさす
  いいぞ がんばれ ドラゴンズ
  燃えよ ドラゴンズ!

2.一番 高木が塁に出て
  二番 谷木が送りバント
  三番 井上タイムリー
  四番 マーチンホームラン
  いいぞ がんばれ ドラゴンズ
  燃えよ ドラゴンズ!

3.五番 谷沢がクリーンヒット
  六番 木俣が流し打ち
  七番 島谷ヒットエンドラン
  八番 広瀬がスクイズバント
  いいぞ がんばれ ドラゴンズ
  燃えよ ドラゴンズ!

4.星野仙一強気の勝負
  松本 渋谷のミラクル投法
  鈴木 竹田の快速球
  三沢も稲葉も水谷も
  いいぞ がんばれ ドラゴンズ
  燃えよ ドラゴンズ!

5.一発長打の大島君
  代打男の江藤君
  スイッチヒッターウィリアム
  期待のルーキー藤波君
  いいぞ がんばれ ドラゴンズ
  燃えよ ドラゴンズ!

6.近藤コーチの作戦に
  森下コーチのピストンサイン
  井手も西田も控えてる
  華麗な守備の正岡も
  いいぞ がんばれ ドラゴンズ
  燃えよ ドラゴンズ!

7.トラを殺して優勝だ
  くじらを食べて優勝だ
  そしてにっくきジャイアンツ
  息の根止めて優勝だ
  いいぞ がんばれ ドラゴンズ
  燃えよ ドラゴンズ!

8.僕もあなたも願ってる
  いのる気持ちで待っている
  それはひと言優勝だ
  与那嶺監督の胴上げだ
  がんばれ がんばれ ドラゴンズ
  燃えよ ドラゴンズ!
Fri 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


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