スポンサーサイト

カテゴリー: スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-- -- | トラックバック(-) | コメント(-)


球史に残る強力打線 5

カテゴリー: 福岡ソフトバンクホークス

古豪復活、ホークス・ダイハード打線

松中信彦

 南海は、1973年を最後に優勝から遠ざかり、長い低迷期を迎えた。
73年、当時パリーグは、前・後期制で、前期優勝の南海は、後期優勝の阪急をプレーオフで破り、パリーグを制した。しかし、日本シリーズでは、V9最後の巨人に1勝4敗と惨敗した。

 1988年には、身売りしてダイエーホークスとなった。1999年、福岡移転後パ・リーグ優勝・日本一、2000年にパ・リーグV2を達成した。
 ダイハードには「不死身」という意味があることから「何点取られても決して諦めない」という意味が込められている。また英語でダイハードの綴り(Die Hard)とダイエーホークスの綴り(Daiei Hawks)が似ていることから、「ダイハード打線」と命名した。
 ダイエーとなり、南海時代から数えて26年ぶりに優勝し、その2年後にダイハード打線は、命名された。この2001年は、近鉄に優勝をさらわれ、リーグ3連覇を阻止されはしたが、1978年の広島、1980年の近鉄に次ぐ、3番目のチームホームラン数200発を超えた(203本)破壊力抜群の恐怖打線であった。打撃部門のタイトルホルダーは出なかったが、井口資仁、小久保裕紀、松中信彦、城島健司の4人が30本塁打以上を放つというパ・リーグ初の快挙を達成(セリーグは、1985年の真弓、バース、掛布、岡田)し、スタメン9人のうち、2番から8番まで、7人が2ケタホームランを放っている。なお、井口は、44盗塁で自身初の盗塁王に輝いている。

  2001年第1次ダイハード打線

1 柴原洋    センター
2 P.バルデス レフト       21本塁打
3 井口資仁   セカンド     30本塁打   44盗塁  盗塁王
4 小久保裕紀  サード      44本塁打  ダイエー最多
5 松中信彦   ファースト    36本塁打
6 城島健司   キャッチャー   31本塁打
7 秋山幸二   ライト       11本塁打
8 T.ミッチェル DH        10本塁打 
9 鳥越裕介   ショート

 2003年は、100打点以上が史上初の4人、3割打者が6人、チーム打率は.297(1998年の横浜.294を抜く日本記録)と記録的に打ちまくった。更に井口が2度目の盗塁王を獲得し、村松が2位、川が3位と上位を独占し、機動力でも他を圧倒した。この打線を武器に、天敵・西武に1981年以来22年ぶりに勝ち越してのリーグ完全優勝を果たし、さらにセの阪神を破って、4年ぶりに日本一を奪回した。

  2003年第2次ダイハード打線

1 村松有人   センター      .324              32盗塁 2位
2 川崎宗則   サード                       30盗塁 3位
3 井口資仁   セカンド      .340  109打点       42盗塁 盗塁王
4 松中信彦   ファースト    .324  123打点 打点王
5 城島健司   キャッチャー   .330  119打点
6 P.バルデス  レフト       .311  104打点
7 J.ズレータ  DH 
8 芝原洋     ライト       .333
9 鳥越裕介   ショート

 2001年と2003年のオーダーのみ掲げたが、2004年には、松中が、野村・王・落合・ブーマー・バースに続く史上6人目の3冠王に輝くなど、ダイハード打線の名称は、2001年~2004年の4年間が、相応しいと言えよう。
スポンサーサイト
Wed 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


球史に残る強力打線 4

カテゴリー: 福岡ソフトバンクホークス

4次に渡る南海400フィート打線

南海ホークス

 400フィートはメートルに換算すると約122メートルで、この飛距離があればスタンドインする(ホームランになる)ということから名付けられた。

 南海ホークスは戦後、積極的な盗塁・走塁を駆使した機動力と、「100万ドルの内野陣」と呼ばれた堅守の内野守備を大きな特徴とし、リーグ優勝の常連チームだった。しかし、1951年~1953年に3年連続して日本シリーズでセの巨人に敗れたことで、監督の鶴岡一人(当時は山本姓)はそれまでの機動力野球の方針を転換し、強打の打線を形成することに着手した。1954年オフに、近鉄パールスから杉山光平をトレードで獲得し、1955年オフには穴吹義雄、長谷川繁雄、寺田陽介といった打撃評価の高い新人選手を獲得した。すぐには成果は出ず、1955年の日本シリーズではまたも巨人に敗れており、1956年から1958年にかけては西鉄ライオンズのリーグ3連覇を許した。

 1959年の南海打線は、杉山や「100万ドルの内野陣」時代からの岡本伊三美らベテランと、穴吹、長谷川、寺田、野村克也ら若手レギュラー陣によって形成された。杉山は首位打者に輝いた。
 チーム打率(.265)と得点(574)がリーグ1位、本塁打は90でリーグ2位と「400フィート打線」が力を発揮。投手陣では杉浦忠がエースとして38勝をマーク(1961年西鉄・稲尾和久の42勝、1950年の松竹・真田重蔵の39勝に次ぐ3番目の記録)し、チームは4年ぶりのリーグ優勝を果たした。日本シリーズでも、杉浦の4連投で巨人を4連勝で破り、念願の日本一に輝いた。

  1959年第1次400フィート打線

1 広瀬叔功     ショート
2 カールトン半田  サード
3 杉山光平     ライト
4 野村克也     キャッチャー
5 長谷川繁雄    センター
6 岡本伊三美    セカンド
7 寺田陽介     ファースト
8 穴吹義雄     レフト

1963年第2次400フィート打線

 
 1963年から南海打線は3年連続でチーム打率、本塁打、得点リーグ1位を記録する。
この年野村は、1950年松竹・小鶴誠のシーズン51本を更新する52本塁打を記録し、打点王と共に2冠に輝くなど4番打者として活躍。広瀬叔功は3年連続盗塁王に輝いた。前年に遊撃から中堅へとコンバートされた広瀬は、俊足を生かした守備も評価された。不振を極めた穴吹に替わり、右翼には樋口正蔵が定着し、ケント・ハドリは前年を上回る成績を残した。衰えの見えた岡本に替わって二塁には森下整鎮が起用された。2番打者から7番打者までの6人が、2ケタ本塁打を放つなど、対戦チームにとって気の抜けない打線となった。

 チーム打率(.256)、本塁打(184)、得点(626)ともに1位を記録し、投手陣も2度目の10勝投手6人(日本初は、1956年の田沢芳夫、野母得見、長光告直、皆川睦男、小畑正治、戸川一郎)を輩出したにもかかわらず、順位は2位にとどまった。
 1956年は、7月10日の時点で、2位西鉄に最大14.5ゲーム差をつけ、独走していたが、最終的には、0.5ゲーム差で西鉄に逆転優勝を許している。これは、最大ゲーム差逆転記録である。この年西鉄は、島原25勝、稲尾西村21勝と3人の20勝投手を輩出している。
 1963年も2ケタ勝利投手6人(森中千香良、ジョー・スタンカ、杉浦忠、三浦清弘、皆川、高橋栄一郎)を南海は、輩出しているにもかかわらず、またも西鉄にその栄冠を奪われている。
 ちなみに、同一チームで2ケタ勝利投手6人を輩出したのは、先に挙げた南海の2回と2005年のロッテが記録しているのみであるが、優勝したのは、2005年のロッテだけということになる。ロッテの6人は、セラフィニ、小林宏之、清水直行、渡辺俊介、久保康友、小野真吾である。

 1963年の南海は、2冠王・野村を中心に、6人の2ケタ本塁打、リーグ一の打率・本塁打・得点という屈指の強力打線と2ケタ勝利投手6人を輩出したにもかかわらず、さらには、名将鶴岡監督で優勝できなかったということは、全く不可解としか言いようがない。

  1963年第2次400フィート打線

1 樋口正蔵  ライト
2 広瀬叔功  センター
3 B.ピート  サード
4 野村克也  キャッチャー
5 K.ハドリ  ファースト
6 井上登    レフト
7 小池兼司  ショート
8 森下整鎮  セカンド

1964年第3次400フィート打線

 1964年も野村は本塁打と打点の2冠に輝いた。広瀬は開幕から89試合目まで打率4割をキープし、最終的に打率.366で首位打者となった。春先から31連続盗塁成功を記録するなど俊足も大いに生かし、自己最高の72盗塁で4年連続盗塁王。阪急ブレーブスから出戻りの杉山は、右翼を守った。左翼は井上登堀込基明が競い、最終的に井上は代打に回った。前年二塁を守った森下は慣れた三塁へ戻り、二塁は国貞泰汎が3年目にして初めて抜擢された。

チーム打率.259、本塁打144、得点653で3部門ともリーグ1位。投手陣の好調も相まってチームはリーグ優勝し、阪神タイガースとの日本シリーズも制した。

1 堀込基明  レフト
2 広瀬叔功  センター
3 杉山光平  ライト
4 野村克也  キャッチャー
5 K.ハドリ  ファースト
6 小池兼司  ショート
7 森下整鎮  サード
8 国貞泰汎  セカンド

1965年第4次400フィート打線

 1965年は野村が、2リーグ分裂後初の3冠王に輝いた。広瀬は5年連続盗塁王。杉山の不振から、樋口正蔵が右翼に起用され、近鉄バファローズから移籍してきたジャック・ブルームが杉山に替わって3番を打った。

チーム打率(.255)、本塁打(153)、得点(614)は3年連続リーグ1位。この打撃力と2ケタ勝利投手5人で、チームは2位に12ゲーム差を付けてリーグ連覇するものの、日本シリーズで巨人に屈した。巨人は、この年から、ON時代の到来で不世出の大記録であろう日本一9連覇を達成している。

1 広瀬叔功    センター
2 樋口正蔵    ライト
3 J.ブルーム  セカンド
4 野村克也    キャッチャー
5 K.ハドリ    ファースト
6 堀込基明    レフト
7 小池兼司    ショート
8 森下整鎮    サード

 前述通り、1963から3年連続でチーム打率、本塁打、得点リーグ1位を記録した400フィート打線は、多少のメンバー変更があったとはいえ、野村を中心とした南海最強の打線であったといえる。
Tue 2009 | トラックバック(-) | comment(0)


| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。